半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(3-51)

51.至忠逆於耳、倒於心,非賢主,其孰能聽之?故賢主之所說(yuè)①,不肖主之所誅也。今有樹於此,而欲其美也,人時灌之則惡之,而日伐其根,則必無活樹矣。夫惡聞忠言,自伐之精者也。(卷三十九 呂氏春秋

【注釈】
①說:後作「悅」,喜悅,高興。

【白話】
至忠之言會讓人覺得不中聽、不順心,若不是賢明的君主,有誰能接受呢?所以賢明的君主所喜歡的,正是昏庸的君主所要懲罰誅除的。假如這裡有一棵樹,自己希望它生長茂盛,可是別人按時澆灌它,自己卻討厭澆灌人的行為,並且每天砍伐樹根,那麼這棵樹必定活不了。厭惡聽取忠言,正是最嚴重的自我毀滅的行為啊!

【日本語訳】
最も忠誠を尽くした言葉は聞いていて気持ちのいいものではなく、人の心を不快にさせます。賢明な君主でなければ、誰がそのような言葉を受け入れられましょうか。そのために、賢明な君主が好むのは、愚かな君主が罰して消そうとするものです。仮にここに一本の木があるとしましょう。木には大きく育ってほしいものです。しかしながら、誰かがいつも決まった時間にその木に水をあげてくれても、自分はそのような行為してくれる者が嫌いで、しかも木の根元を毎日傷つけているものなら、その木は必ず長生きできないでしょう。忠言を聞き入れることを嫌悪するのは、まさに最も大変な自滅行為です。

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