半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(4-44)

44.馮紞,字少胄,安平人也。稍遷左衛將軍,承顏悅色,寵愛日隆。賈充、荀勗,並與之親善。世祖詔治金墉,廢賈妃,已定,紞與勗乾沒救請,故得不廢。轉侍中,世祖篤病得愈,紞與勗乃言於世祖曰:「陛下前者病若不差,太子其廢矣。齊王為百姓所歸,公卿所仰,雖欲高讓,其得免乎?宜遣還藩,以安社稷。」世祖納之。(卷三十 晉書下・傳)

【白話】
馮紞,字少胄,安平郡人。逐漸升官至左衛將軍。他善於察言觀色,迎合皇帝的心意,晉武帝司馬炎對他的寵愛一天比一天加深。賈充、荀勖都和他親善。武帝詔命整修皇家禁地金墉城,要廢掉太子妃賈南風,此事已決定下來。馮紞和荀勖考慮日後利害得失,竭力挽救,因而賈妃沒有被廢。馮紞後轉任侍中。太康三年,武帝大病痊癒,馮紞和荀勖遂向武帝進言說:「陛下之前的疾病如果不能好轉,那麼太子就可能被廢掉了。齊王司馬攸一向為百姓所擁護,為公卿大臣所崇敬,即使齊王想推辭不做天子,在這種情況下,齊王能推得掉嗎?現在應該送齊王回自己的藩國封地,以使國家安定。」武帝採納了他們的意見。

【日本語訳】
馮紞、字は少胄と言い、安平郡出身で徐々に左衛将軍まで上り詰めました。空気を読むのが上手く、よく皇帝のお気持ちに迎合するため、晋武帝司馬炎からは日に日に寵愛されるようになりました。賈充も荀勖も彼と仲が良かったのです。武帝は皇家の立ち入り禁止区域である金墉城の建直しと、皇太子妃の賈南風の廃位を命じていたが、それからの利害損得を考えた馮紞と荀勖の懸命な努力によって、皇太子妃の廃位は免れたのです。馮紞はのちに侍中に転任しました。太康三年、武帝が重い病気から快復したので、馮紞と荀勖は武帝に進言しました。「陛下がご快復なさらなければ、太子は廃位にされてしまうところでした。斉王である司馬攸はいつも民から擁護され、公卿大臣から敬われています。たとえ斉王が天子の位を辞退したくても、これほど人々から慕われている状態で、それができましょうか。国家安定のために、今こそ斉王を自分の領地に送り返す時です。」武帝は彼らの意見を聞き入れました。

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