半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(4-97)

97.世祖受禪,陳留王就金墉城,孚拜辭,執王手涕泣歔欷,不能自勝。曰:「臣死之日,固太魏之純臣也。」臨終曰:「有魏貞士河內司馬孚,不伊不周,不夷不惠,立身行道,終始若一。」遺令素棺單椁,斂以時服,所給器物,一不施用。(卷二十九 晉書上・司馬孚傳)

【白話】
咸熙二年(西元二六五年),魏元帝曹奐禪位給世祖司馬炎,曹奐被遷居金墉城,出城時,太傅司馬孚與他辭別,拉著他的手流淚,悲傷地無法承受,說:「臣死的時候,仍然是大魏純正不貳的臣子。」臨死時說:「大魏忠貞之士河內司馬孚,不是伊尹,也不是周公;不做伯夷,也不學柳下惠。立身處世遵行道義,始終如一。」遺囑交代用無裝飾的棺和單椁,入殮時用當時穿的常服,朝廷賜給的器物一概不用。

【日本語訳】
魏の元帝である曹奐は世祖の司馬炎に譲位して、金墉城に住まいを移されてしまいました。城を出る時、太傅である司馬孚は分かれに来て、曹奐の手を引きながら泣いていました。「私は死んでもなお、わが魏国の純正なる臣下です。」死に間際になった時、司馬孚は言いました。「大魏の忠節の士である司馬孚は、他のだれでもありません。他の賢人を見習わなくとも、道義を守ることができて、いつも初心を忘れませんでした。」装飾のない棺と、いつもつけている普段着だけを用意するように言いつけ、朝廷から賜った物は一切使いませんでした。

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