半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(4-106)

106.吳隱之,字處默,濮陽人也。早孤,事母孝謹,愛敬著於色養。幾滅鄣。於執喪,居近韓康伯家。康伯母賢明婦人,每聞隱之哭,臨饌輟餐,當織投杼,為之悲泣。如此終其喪。謂伯曰:「汝若得在官人之任,當舉如此之徒。」及伯為吏部,超選隱之,遂階清級,為龍驤將軍,廣州刺史。(卷三十 晉書下・傳)

【白話】
吳隱之,字處默,濮陽人。幼年喪父,侍奉母親孝敬、恭謹,敬愛之情十分明顯。他母親去世,守喪時在墳前哭祭,幾乎氣絕身亡。他住在韓康伯家附近,康伯的母親是一個非常賢明的婦人,每次聽到吳隱之的哭聲,正在準備食物要吃飯,便停下來,正在織布便放下梭子,為隱之的悲傷而哭泣。就這樣,直到吳隱之守喪期結束。韓康伯的母親對康伯說:「今後你如果掌管官吏的任用,應當推舉像吳隱之這樣的人。」等到康伯任職吏部時,便推薦提拔吳隱之,使他順利登上顯貴官位,擔任龍驤將軍及廣州刺史。

【日本語訳】
呉隠之、字は處默、濮陽の人でした。幼い時に父親を亡くしたが、母親をよく慕っており、母親のことをとても大切にしていました。母親が亡くなると、呉は喪服の時、墓前でほぼ気絶するほどに泣き悲しみました。呉は韓康伯の家の近くに住んでいたが、韓の母親はとても賢明な女性でした。呉の泣き声を聞く度に、たとえ食事の用意をしていようと、機を織っていようと、彼女は手を止めて、呉の悲しみのために涙を流しました。呉の喪が明けると、韓の母親は韓に言いました。「もしこれから、あなたに官吏の任用を司ることがあれば、呉のような人を推挙するべきです。」韓は吏部になると、呉を推薦し、呉が龍驤将軍と廣州刺史という高い官位になるまで助けました。

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