半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(2-229)

229.聖王修義之柄,禮之序,以治人情。故人情者,聖王之田也。修禮以耕之,陳義以種之,講學以耨(nòu)①之,本仁以聚之,播樂以安之。故治國不以禮,猶無耜(sì)②而耕也。為禮不本於義,猶耕而不種也。為義而不講以學,猶種而不耨也。講之以學而不合以仁,猶耨而不穫也。合之以仁而不安以樂,猶穫而不食也。安之以樂而不達於順,猶食而不肥也。(卷七 禮記)

【注釈】
①耨:用耨除草。喻除穢去邪。②耜:耒下鏟土的部件,初以木製,後以金屬製作,可拆卸置換。一說,耒、耜為獨立的兩種翻土農具。

【白話】
聖王遵循義的根本、禮的秩序,來調治人心。因此人心是聖王耕種的土地。用修養禮儀來耕耘,用倡導道義來播種,用講習學問(存是去非)來除草,根據仁愛來加以收穫,用樂的教化來安定人心。因此治理國家如果不用禮,就如同沒有農具而去耕田。制定禮儀規範而不以義為宗旨,就好比只耕田而不播下穀物的種子。推行道義而沒有人來講學以辨明是非,就好比只播種而不鋤草。只講學而不契合仁愛的存心,就好比雖然有人除草但也不會有好的收成。契合仁愛而不以樂的教化來安和人心,就如同雖有收成而沒能享用成果。用樂教來使人心安定卻不能達到和順自然的境界,就如同享受了成果而沒有得到健康。

【日本語訳】
聖王は義の根本と礼の秩序に遵って、人心を調整して直します。したがって、人心は聖王が耕種する土地です。修養と礼儀で耕作して、唱道と道義で播種して、講習学問(是を残して、非を捨てます)で芟除して、仁愛に基づいて収穫を行って、楽の教化で人心を安定します。したがって、礼で国家を治めないと、農具がなくても田畑を耕しに行くと同じようです。義を宗旨にせずに礼儀を制定して規範したら、田畑だけを耕して、穀物の種を撒かないと同じようです。道義を広く実行して、講学して是非を識別させようとする人が誰もいなければ、種だけを撒いて芟除しないと同じようです。講学だけをして、仁愛の下心とぴったり合わなければ、人が芟除し手も、良い収成が得られないと同じようです。仁愛にぴったり合えても、楽の教化で人心に安楽と平和をさせなければ、収成が得られても、成果が享受出来ないと同じようです。楽の教化で人心に安定させても、和順自然の境界にならなければ、成果が享受出来ても、健康が得られないと同じようです。

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