半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(2-117)

117.聖人以仁義為準繩,中繩者謂之君子,弗中者謂之小人。君子雖死亡,其名不滅;小人雖得勢,其罪不除。左手據天下之圖,而右手刎其喉,愚者不為。身貴乎天下也,死君親之難者,視死若歸,義重於身故也。天下大利,比身即小;身所重也,比義即輕。此以仁義為準繩者也。(卷三十五 文子)

【白話】
聖人以仁義作為心行的準則,符合仁義標準的人就是君子,不符合的就是小人。君子雖然去世,但他的聲名不會消失;小人雖一時得勢,但他的罪惡卻難以消除。左手掌握天下的版圖(大權),而右手自割其喉嚨,即使愚昧的人也不會這樣做,因為生命比天下更為寶貴。為君王和父母的危難而犧牲的人,能視死如歸,是把「義」看得比生命還重要的緣故。擁有天下是極大的利益,但同生命相比也是渺小的;生命是極其寶貴的,但同道義相比也是輕微的。以仁義做為準則的人就是這個樣子。

【日本語訳】
聖人は仁義を心の働きの準則にして、君子はその要求された標準に合って、死んでも名声が消えてしまわなくて、卑しい人は一時に勢力が得られても、犯した罪はいつでも消除しきれません。愚者であっても、左手には天下の権力を掴んでいるのに、右手は自らの咽喉を切断する事はありえないでしょう。なぜなら、天下より命がずっと貴重だということです。君主と親のため、危難の際に死ぬのに恐れずに、自らの命が捨てられる者は、命より「義」を最も大事にしているからです。天下覇権を握ることは極めて大きい利益ですが、しかし、命と比べたら全く軽微なものです。命は大事な宝物だと思われますが、しかし、道義とくらべると、これも軽微なものだといいようがありません。こうしたことを考えているのは仁義を準則にする者です。

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