半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(3-240)

240.先王為禮,以達人之性理,刑以承禮之所不足。故以仁義為不足以治者,不知人性者也,是故失教,失教者無本也。以刑法為不可用者,是不知情偽者也,是故失威,失威者不禁也。故有刑法而無仁義,久則民忽,民忽則怒也;有仁義而無刑法,則民慢,民慢則姦起也。故曰:本之以仁,成之以法,使兩通而無偏重,則治之至也。夫仁義雖弱而持久,刑殺雖強而速亡,自然之治也。(卷五十 袁子正書)

【白話】
古代先王制定禮法來實現人們本性的仁義,調整刑罰來彌補禮制的不足。所以認為仁義不足以治國,是不懂得人性本善,於是就缺乏教化,缺乏教化的治理就失去了根本。認為刑罰不可以治國的,是不了解人習性的偽詐,於是就失去威懾,失去威懾就不能禁止惡行。所以有刑法而沒有仁義,時間久了百姓就會疏忽道義,百姓疏忽道義就會發生叛亂;有仁義而沒有刑法,百姓就會怠慢,百姓怠慢,就會作姦犯科。所以說,以仁義為根本,以法律為佐助,使兩者結合而不偏重,這是治理國家的最高境界。仁義教化雖不顯著,但是效果持久;刑罰效果顯著,(過分依賴)卻會加速國家的滅亡。這是治理國家的自然之道啊。

【日本語訳】
昔の先王たちは礼法を制定して、人の本性である仁義を実現させようとしました。そして、刑罰を調整することによって礼法と制度の不足を補おうとしました。そのため、仁義では国を治められないと思うのは、人性は本来善良なものだという道理をまだよく分っていないからです。教化が足りないがために、治理は根本を失ってしまいます。刑罰では国を治められないと思うのは、人の譎詐する習性をまだよく分っていないからです。そのために、威厳を失ってしまい、悪行を阻止できなくなります。ゆえに、刑法はあっても仁義がないと、時間が経つと民は道義を疎かにしてしまいます。そして叛乱が起こります。仁義があっても刑法がないと、民は怠慢になり、悪事に手を染めてしまいます。従って、仁義を根本にして、法律を補佐にすることです。両者を結びつけて、どちらにも偏ることがなかったら、国を治めるのに最高の境界です。仁義による教化は目立たないが、長い効果があります。刑罰は顕著な効果があるが、(依頼しすぎると、)国の滅亡を加速してしまいます。これは国を治める上の自然の理です。

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