半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(3-319)

319.孔子觀於明堂①,睹四方之墉,有堯、舜、桀、紂之象,而各有善惡之狀、興廢之誡焉。又有周公相成王,抱之而負斧扆(yǐ)②,南面以朝諸侯之圖焉。孔子徘徊而望之,謂從者曰:「此則周之所以盛也!夫明鏡者所以察形,往古者所以知今。人主不務襲跡於其所以安存,而忽怠於所以危亡,是猶未有以異於卻步而欲求及前人也,豈非惑哉?」(卷十 孔子家語)

【注釈】
①明堂:古代帝王宣明政教、舉行大典的地方。這裡是孔子到周國所參觀的明堂。②斧扆:古代帝王朝堂所用的狀如屏風的器具,以絳為質,高八尺,東西當戶牖之間。其上有斧形圖案,故名。《逸周書・明堂》:「天子之位,負斧扆,南面立。」

【白話】
孔子在周國的明堂參觀時,看到四周的牆壁上繪有堯帝、舜帝、夏桀、商紂的畫像,畫像下面都敘述了他們的善行和惡跡的情況,以及興盛和衰亡的規誡。還有周公輔佐成王時,抱著成王背靠斧紋圖案的屏風,面南而坐接受諸侯來朝見的圖畫。孔子徘徊在這些畫像前反覆瞻仰,對跟隨在身邊的弟子們說:「這就是周朝繁榮興盛的原因啊!明鏡是用來觀察人的身形的,歷史則是用來看清現實和預知未來的。如果君王既不努力承襲古代聖王之所以長治久安之道,又忽視亡國之君之所以危亡的原因,這就跟向後面倒退,卻想要趕上走在前面的人沒有兩樣,豈不是很糊塗嗎?」

【日本語訳】
ある日、孔子は周国の帝王が政治や儀礼を行う明堂を見学しました。周りの壁には堯帝、舜帝、夏桀、商紂らの肖像画が掲げられており、絵の下にはそれぞれのした善行と悪行が記され、強盛もしくは衰亡したことへの戒めが見えました。また、周公が成王を補佐していた時に、幼い主君を抱いて帝王の象徴である斧文様の屏風を背にしながら、南向きに座って諸侯の謁見を受けていた絵がありました。孔子はこれらの絵の前を歩き回って、繰り返し仰げてから、そばについていた弟子たちに言われました。「これこそ周朝が栄えて強盛になった原因です!明鏡は人の身なりを観察するためのものであり、歴史は現実を見定めて未来を予知するためのものです。もし主君が昔の聖王が長く平穏に治国できた道を勤めて受け継げようとしない上に、亡国の君主がいかにして国を滅亡させたのかも無視しているのならば、まるで後ろ向きに歩いているのに、先頭にいる者に追いつこうとしているのと違いがありません。何と馬鹿げたことでしょうか。」

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