半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(4-306)

306.李憙,字季和,上黨人也。累辟三府,不就。宣帝復辟為太傅屬,固辭。世宗輔政,命憙為大將軍從事中郞。憙到引見,謂憙曰:「昔先公辟君而不應,今孤命君而至,何也?」對曰:「先君以禮見待,憙得以禮進退。明公以法見繩,憙畏法而至。」帝甚敬重焉,遷太常司隷校尉。(卷二十九 晉書上・百官志)

【白話】
李憙,字季和,上黨銅鞮人。屢被徵召高官,他都不接受。司馬懿為太傅,徵召為屬官,他以有病為藉口堅決推辭。嘉平三年(西元二五一年),司馬懿去世,司馬師執掌魏國軍政大權,任命李憙為大將軍從事中郎,李憙到任後被引見,司馬師對李憙說:「過去先公徵召您,而您不答應,如今我任命您,您就來了,為什麼呢?」李憙回答道:「先君以禮對待我,我得依照禮決定進仕或退身。明公用法來約束我,我畏懼法就來了。」司馬師非常敬重他,晉升他為太常司隸校尉。

【日本語訳】
李憙、字は季和、上黨銅鞮の人でした。度々高官として朝廷に呼ばれたが、官職を受け入れませんでした。司馬懿が太傅をしていた時に彼を直属の官員として呼び寄せても、彼は病気を言い訳に固辞しました。嘉平三年(西元二五一年)、司馬懿が亡くなると、司馬師が魏国の軍政を牛耳るようになり、李憙を大将軍の事中郎に任命しました。李憙が赴任すると二人は会見したが、司馬師は李憙に尋ねました。「昔、父の呼び寄せに対して応えなかったのに、今、わたしが呼び寄せるといらっしゃいました。何故でしょうか?」李憙は答えました。「先君は礼をもって接してくださったので、わたしも礼に従って出仕するかどうかを決めなければいけませんでした。明公は法をもって私を約束し、わたしは法を恐れているのでやってきました。」司馬師は彼のことを非常に尊敬して重視し、太常司隸校尉に昇任させました。

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