半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(4-353)

353.周之建侯,長享其國,與王者並。遠者延將千載,近者猶數百年。漢之諸王傳祚,暨至曾玄。人性不甚相遠,古今一揆,而短長甚違,其故何邪?立意本殊,而制不同故也。周之封建,使國重於君,公侯之身,輕於社稷,故無道之君,不免誅放。敦興滅繼絕之義,故國祚不泯。不免誅放,則群后思懼,胤嗣必繼,是無亡國也。諸侯思懼,然後軌道。下無亡國,天子乘之,理勢自安。此周室所以長存也。(卷三十 晉書下・傳)

【白話】
周代建立的諸侯,長久享有他們的封國,其國運的延續與周王室是一樣的。有的諸侯國存在的時間長達千年,短的也有數百年。漢代的諸侯王,封國的國運只傳到曾孫或玄孫輩。人性相差並不很遠,古時和今時沒什麼不同,可是享國的長短卻相差甚大,這究竟是什麼原因呢?那是由於漢朝和周朝建立諸侯國的用意本來就不同,於是所定的制度便有所不同啊!周代實行的封建制,封國的地位重於諸侯王的王位,公侯的身家性命輕於社稷,所以無道昏君免不了被誅殺或流放。由於崇尚興滅繼絕的道義,所以國運不滅。君王免不了被誅殺或放逐,這樣諸侯國國君就會有所恐懼和警醒,子孫才可以繼承國祚,因此就不會發生亡國的事情。諸侯感到畏懼,就會按照禮法行事。諸侯國沒有亡國的危險,天子憑藉他們,天下情勢自然也就安定,這就是周王室所以能夠長期存在的原因啊!

【日本語訳】
周王朝で成立した諸侯は長い間その領国を有し、周王室と国運を共にしてきました。ある諸侯国はもう千年あまり存在し、短いものでも数百年ありました。漢王朝の諸侯王になると、その国運はわずかひ孫もしくはひひ孫の代までしか受け継がれませんでした。人の品性にそう違いはなく、昔と今でもそう違わないのに、何故諸侯国の期間の長短にこれほどの違いがあるのでしょうか。元々、漢王朝周王朝では諸侯国を設立する意図は違うので、制度そのものにも違いがあります!周王朝で実行された封建制では、封国の地位は諸侯王の王位そのものよりも高いが、貴族の命は国の利益に比べれば軽いものでした。そのため、無道な暗君は殺されたり流されたりしたが、滅亡のあとの復興を崇める道義を重んじていたので、国として滅亡させられることはありませんでした。君王でも殺害や島流しの刑を免れないと知ると、諸侯国の国君は恐れをなして注意深くなり、その子孫は国を受け継ぎながら、亡国させるようなことにならないのです。諸侯国に滅亡の危険がなく、天子も彼らを頼りにすれば天下の情勢を安定させられるので、これこそ周王朝が長期にわたって存続できた原因です!

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