半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(3-99)

99.無惻隱①之心,非人也;無羞惡之心,非人也;無辭讓之心,非人也;無是非之心,非人也。惻隱之心,仁之端②也;羞惡之心,義之端也;辭讓之心,禮之端也;是非之心,智之端也。人之有是四端也,猶其有四體也。有是四端,而自謂不能者,自賊者也;謂其君不能者,賊其君者也。(卷三十七 孟子

【注釈】
①惻隱:同情,憐憫。②端:開端,開始。

【白話】
如果一個人沒有同情憐憫的心,就不能算作是人;對惡行沒有羞恥厭惡之心,就不能算作是人;沒有謙遜謙讓的心,就不能算作是人;沒有明辨是非的心,就不能算作是人。同情憐憫心是仁的開端;羞恥厭惡心是義的開端;謙遜謙讓心是禮的開端;辨別是非心是智的開端。人有這四個善良的開端,如同人有四肢一樣,都是生來便具備的。有這四個善良的開端,而認為自己不能行善,就是賊害自己本善的天性,自暴自棄;作為臣子,認為自己的君王不能行善,不勸諫君王改正,就是賊害自己的國君,陷國君於不義。

【日本語訳】
もし他人を憐憫する同情心がないと、その者は人とは言えません。もし悪行を嫌悪する羞恥心がないと、その者は人とは言えません。もし謙遜に譲る心がないと、その者は人とは言えません。もし是非を分別する心がないと、その者は人とは言えません。憐憫する同情心は仁の始まりです。嫌悪する羞恥心は義の始まりです。謙遜に譲る心は礼の始まりです。是非を分別する心は智の始まりです。これら四つの善良さはまるで人に四肢があるように、生まれた時から持っているものです。これら四つの善良さの始まりを持っているのに、自分が善行をすることはできないと考えるのは、自分の善良な本性を害する自暴自棄の行為です。臣下として、自分の君主に善行をすることはできないと考えて諌めないのは、自分の君主を不義に陥れて害する行為です。

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