半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(3-119)

119.昔者聖人之崇仁也,將以興天下之利也。利或不興,須仁以濟天下。有不得其所,若己推而委①之於溝壑然。夫仁者,蓋推己以及人也。故己所不欲,無施於人;推己所欲,以及天下。推己心孝於父母,以及天下,則天下之為人子者,不失其事親之道矣;推己心有樂於妻子,以及天下,則天下之為人父者,不失其室家之歡矣;推己之不忍於飢寒,以及天下之心,含生無凍餧(něi)②之憂矣。此三者,非難見之理,非難行之事,唯不內推其心,以恕乎人,未之思耳,夫何遠之有哉?(卷四十九傅子)

【注釈】
①委:捨棄,丟棄。②餧:同「餒」,飢餓。

【白話】
從前,聖人崇尚仁政,是用以為天下人興利的。如果利民之事未能興辦,就必須以仁政普濟天下。若有不得其所的人,就如同是自己把他們丟棄到溝壑一般。仁愛的人,都將心比心對待人,所以己所不欲,不施於人;想到自己之所求,就會設身處地推廣到天下人。願將自己孝順父母之心,遍及天下之人,那麼,天下的子女就不會喪失侍奉雙親的準則;願將自己與妻兒相處的快樂,遍及天下之人,那麼,天下做父親的人就不會失去家庭的歡樂;用自己忍受不了飢寒的心情去推想天下人飢寒的心情,天下生靈就不會有飢寒交迫之憂。這三點不是難懂的道理,也不是難以辦到的事情,只是不能推己之心以恕道待人,沒有用心去思考罷了,哪裡真的是很遙遠而不能辦到的呢?

【日本語訳】
昔、聖人が仁政を推奨したのは、天下の人々の利益を上げようとしたためです。もし民のためになることができていなかったら、仁政でそれを天下に実現させるべきです。聖人にとって、居場所のない者がいることは、まるで自分が彼らを深い溝に陥れたようなことです。仁愛の心を持っている者は、相手の気持ちを思いやって接することができます。そのために、自分がしてほしくないことは、人にもしません。自分がしてほしいことは、何とかしても天下の人々もしてもらえるようにするのです。自分が父母を孝行する時の心を天下の人々に普及することができたら、世の中の子女たちも両親に尽す時の準則を失いません。自分が妻子といる時の楽しさを天下の人々にも分ってもらえたら、世の中の父親は家庭の楽しさを見失いません。自分が飢えを耐えられない気持ちをもって天下の人々の気持ちを推し量ることができたら、飢えと寒さに苦しむ者も世の中から消えます。これら三つのことは分りにくい理ではなく、実行するのが困難なことでもありません。ただ心から相手の気持ちを思いやって許したり、助けたりできていないのであり、難しくてできないことではありません。

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