半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(3-282)

282.誦先王之書,不若聞其言;聞其言,不若得其所以言;得其所以言者,言弗能言也。故「道可道者,非常道也;名可名者,非常名也。」故聖人所由曰道,所為曰事。道由金石①,壹調不可更;事猶琴瑟,每終改調。故法制禮樂者,治之具也,非所以為治也。(卷三十五 文子)

【注釈】
①金石:指鐘磬一類樂器。

【白話】
讀誦古代聖王的書,不如聽古代聖王所說的話;聽他們說的話,不如得到他說這些話的根本;得到他所說話的根本,就是得到那不可用言語表達的「道」。因此說,「道」如果可以講述,就不是永恆不變的道;「名」如果可以稱說,就不是永恆不變的名。所以聖人所遵從的被稱為「道」,所做的被稱為「事」。道如同鐘磬一樣,音調確定後就不能再更改了;事如同琴瑟一樣,每曲終了就可改調。法律、制度、禮儀和音樂,是治國的工具,並非治國的根本。

【日本語訳】
昔の聖王が残した書物を読み上げるよりも、彼らの言葉に耳を傾けるべきです。聖王の言葉に耳を傾けるよりも、何故彼らはそのような言葉を発したのか、その根本について理解するべきです。その根本について理解ができたら、言葉では言い表せない「道」を得られましょう。そのために、もし言葉で伝えられるようであれば、それは永久にして変わらぬ「道」ではありません。もし言葉で伝えられるようであれば、それは永久にして変わらぬ「名」ではありません。ゆえに、聖人が従って守ることは「道」と呼ばれ、聖人のなすことは「事」と言われます。道はまるで鐘のようであり、一度音律が確定すると、二度と変わることはありません。事はまるで琴のようであり、一度曲が終えると、また調律できます。法律、制度、礼儀と音楽は治国の道具であり、治国の根本ではありません。

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