半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(4-55)

55.夫謗毀之生,非徒空設,必因人之微過而甚之者也。毀謗之言數聞,在上者雖欲弗納,不能不杖所聞,因事之來,而微察之也。無以其驗至矣,得其驗,安得不治其罪?若知而縱之,主之威日衰,令之不行,自此始矣。知而皆治之,受罪退者稍多,大臣有不自固之心矣。(卷二十九 晉書上・傳)

【白話】
毀謗的出現,不是無中生有,必定是因為人有小的過失,而加以誇大。多次聽到誣衊的話,在上位的人雖然不願相信,卻也不能不依憑所聽到的,根據事情的由來暗中考察他。沒有證據就罷了,如果獲得什麼證據,怎麼可以不治他的罪呢?如果知道有過失還放縱他,那麼君主的威望就會日漸衰微,政令難以施行,也就從此開始了。凡是知道有錯誤的都予以治罪,那受到懲處而貶退的人就會慢慢的多起來,做大臣的就會紛紛產生自身難保的想法了。

【日本語訳】
謗りとは故なくして出てくるものではなく、必ず小さな過ちがあるから、大げさに言いふらされてできたものです。度々そのような言葉を耳にすると、たとえ上位の者がそれを信じたくはないとも、事の顛末を明らかにして、噂とされた者を考察せねばなりません。何も証拠がなければそれまでだが、もし何か証拠が出てきたら、噂とされた者を罰せなくてすみましょうか?もし過ちを犯していることを知りながら、例の者を許してしまうと、君主の威厳と人望は日に日に衰えてしまい、政令の施行も難しくなりましょう。過ちがある者をしっかりと罰することができたら、刑罰に処せられて退職になる者は徐々に増えていき、臣下たちも姑息な考えで自分の身を守るのは難しいことだと思い知りましょう。

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