半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(4-71)

71.張華,字茂先,范陽人也,領中書令,名重一世。朝野擬為台輔,而荀勗、馮紞等深忌疾之。會世祖問華:「誰可付以後事者?」對曰:「明德至親,莫如齊王攸。」既非上意所在,微為忤旨,間言得行。以華為都督幽州諸軍事、領護烏桓校尉。於是遠夷賓服,四境無虞。朝議欲徵華入相,馮紞乾沒苦陷,以華有震主之名,不可保必,遂徵為太常,以小事免官。世祖崩,遷中書監,加侍中。遂盡忠救匡,彌縫補闕,雖當闇主虐后之朝,猶使海內晏然。遷司空,卓爾獨立,無所阿比。趙王倫及孫秀等疾華如讎,倫、秀舋起,遂與裴頠俱被害,朝野之士,莫不悲酸。(卷三十 晉書下・傳)

【白話】
張華,字茂先,范陽人。官居中書令,名聲顯赫一時。朝野都認為將任臺輔之職,而荀勗、馮紞等人非常嫉妒他。恰好世祖詢問張華:「我死之後,可以把天下大事交付給誰?」張華回答說:「若論賢明仁德、至親至孝,沒有哪個能比得上齊王司馬攸。」這些話不符合皇上的心意,稍微違逆了皇上的想法,閒言碎語由此得以乘虛而入。皇上便派張華任都督幽州諸軍事,兼護烏桓校尉。因此,遠方的外族順從朝廷,按時納貢,四方邊境安寧無事。這時朝廷又議論想徵召張華入朝廷為宰相,荀勗、馮紞等人為了投機圖利,拚命地陷害他,說張華有威震君主的名聲,不能確保他一定忠於朝廷,於是徵召他為太常,又以小事為藉口免掉了他的官職。世祖逝世後,惠帝提拔他為中書監,加侍中官銜。張華竭盡忠心拯救國家,堵塞各種弊端疏漏,即使是在惠帝昏弱、賈后殘暴肆虐的朝代,仍使海內平安無事。張華升遷為司空後,其成就卓越,與眾不同,不迎合結黨,不偏袒勾結,沒有誰能比得上他。趙王司馬倫以及親信孫秀等人,嫉妒張華如同仇敵一般。司馬倫和孫秀起而作亂,張華和裴頠都被殺害,朝廷內外人士,沒有不悲痛心酸的。

【日本語訳】
張華、字は茂先、范陽出身でした。中書令まで上り詰め、名声が広く知れ渡り、朝野から台輔の大任を任せられるだろうと思われていたので、荀勗、馮紞らから非常に妬まれました。ちょうどその時、世祖は張華に聞きました。「私が亡くなった後、天下のことは誰に任せたらよいでしょう?」張華は答えました。「賢明さや仁徳、親孝行について言うのならば、誰も斉王の司馬攸の比にはならないでしょう。」この答は世祖のお気持ちとお考えに逆らったので、あらぬ噂を世祖は聞き入れてしまいました。世祖は張華に幽州の軍事指揮官である都督と、烏桓の校尉を兼任するように命じました。しかしながら、張華の治下では遠方の他民族も朝廷に従順であり、定期的に礼金を献上し、四方の辺境は安らかで何事も起きませんでした。そのために、朝廷ではまた張華を宰相として呼び戻そうとする動きが出てきました。荀勗、馮紞らは私利私欲のために、張華を陥れようと懸命に策を弄しました。張華は君主よりも名声が大きいので、朝廷に忠実である確証はないと吹き込まれた世祖は、張華を太常として呼び戻しておきながら、些細なことを理由にその官職を罷免しました。世祖が亡くなった後、恵帝は張華を中書監に任命し、さらに中侍の官職も与えました。張華は忠を尽くして国を救いました。各種の陋習や弊害を阻止しました。たとえ恵帝が愚かな君主となり、賈后が残虐非道を働いた時代でも、張華のお蔭で国内外は無事でいられました。司空に昇進した張華の功績は素晴らしいものであり、誰よりも優れていながら、徒党を組まずに、誰かを依怙贔屓しませんでした。趙王である司馬倫及びその取巻きであった孫秀らは、張華のことを目の仇にしていました。司馬倫と孫秀が反乱した時、張華も裴頠も殺害されたので、朝廷内外の人々は心を痛めて悲しみました。

>> 群書治要三六〇 #臣術 #盡忠