半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(4-101)

101.子列子曰:「天地無全功,聖人無全能,萬物無全用。故天職生覆,地職形載,聖職教化,物職所宜。然則天有所短,地有所長,聖有所否,物有所通。何則?生覆者不能形載,形載者不能教化,教化者不能違所宜,宜定者不出所位。故天地之道,非陰則陽;聖人之教,非仁則義;萬物之宜,非剛則柔。此皆隨所宜而不能出所位者也。」(卷三十四 列子・天瑞)

【白話】
列子說:「天地沒有完備的功效,聖人沒有完備的能力,萬物沒有完備的用途。所以天的職責在於生長覆蓋,地的職責在於成形載物,聖人的職責在於教育感化,器物的職責在於適合人們使用。然則,天有所短缺,地有所擅長,聖人有淤塞的時候,器物有通達的效用。為什麼呢?這是因為生長覆蓋的不能成形負載,成形負載的不能教育感化,教育感化的不能違背它的適當用途,事物適宜的功用已經確定了,便不能再超出它所擔負的職責。因此天地的運行,不是陰便是陽;聖人的教化,不是仁便是義;萬物的本質,不是柔便是剛。這些都是按照它所適宜的功用,而不能超出它所擔負的職責。

【日本語訳】
列子は言いました。「天地には完全な効能がなく、聖人には完全な力がなく、万物にも完全な用途などありません。そのため、天の職責は覆い隠すこと。地の職責は載せること。聖人の職責は教育して感化すること。器物の職責は人々が使いやすいようになることです。しかしながら、天と地に短所と長所があるように、聖人と器物にもそれぞれ上手くいったりいかなかったりする時があります。何故でしょう?それぞれの職責や用途は決められており、決められた範囲内ではその力を発揮することができるが、限界を超えてはならないためです。」

>> 群書治要三六〇 #貴德 #尚道