半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(4-102)

102.奚以為治法而可?莫若法天。天之行廣而無私,其施厚而不息,其明久而不衰,故聖王法之。既以天為法,動作有為,必度於天。天之所欲則為之,天所不欲則止。然而天何欲何惡也?天必欲人之相愛相利,而不欲人之相惡相賊也。以其兼而愛之,兼而利之也。(卷三十四 墨子・法儀)

【白話】
以什麼作為治理國家的法度才行呢?沒有比效法天更好的了。天的運行博大又沒有私心,博施深厚而又源源不斷,光輝普照而又永不衰減,所以聖明的君主就把天當作治國的法度。既然以天為法度,那麼凡有舉動作為,就要從天的作為來考慮。天所希望的事就做,天所不希望的事就不做。那麼天希望什麼?憎惡什麼呢?天一定是希望人們相互友愛,相互給予利益,而不希望人們相互仇恨、相互傷害。因為天是不分等次、不分親疏厚薄地愛護人們,並給予人們利益的。

【日本語訳】
国を治めるための法律と度量には、天を見習うより勝るものはないでしょう。天の運行には私心がなく、広くて絶えず光り輝き、万物を照らしてくれるので、まさに聖明な君主の手本です。天を手本にするならば、何をしても天の行いとして考えなければなりません。天が望むことをして、天が望まないことをしません。天は人々が互いに仲良く愛しあい、利益を与えあうことを望むでしょう。人々が互いに恨みあい、傷つけあうことを天は望みません。天は階級など分けずに、遍く人々を愛し、人々に利益をもたらしてくれるものです。

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