半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(4-112)

112.人君貴於一國,而不達於天下;天子貴於一世,而不達於後世,唯德行與天地相弊也。爵列者,德行之舍也,其所息也。《詩》曰:「蔽芾甘棠,勿剪勿敗,召伯所憩。」仁者之所息,人不敢敗也。天子諸侯,人之所以貴也,桀紂處之則賤矣。是故曰:「爵列非貴也。」今天下貴爵列而賤德行,是貴甘棠而賤召伯也,亦反矣。夫德義也者,視之弗見,聽之弗聞,天地以正,萬物以遍。無爵而貴,不祿而尊也。(卷三十六 尸子・勸學)

【白話】
國君對於一個國家而言是尊貴的,但這樣的尊貴卻不能通達到整個天下;統治天下的天子在對於他所存在的時代而言是尊貴的,但卻不能流傳通達於後代,只因為德行和天地相違背。爵位,應該是德行的體現,是德行止息滋長的地方。《詩經》說:「茂盛華美的甘棠樹啊,不要去修剪它,也不要使它枯萎敗亡,因為這是召伯所休息過的地方。」仁者所休息過的地方,人們不敢毀壞此地的花草。天子與諸侯,人們都認為他們很尊貴,但是暴君夏桀與商紂,身居這樣的地位,人們卻認為他們卑賤。所以說:「官位顯耀並不是真正的高貴啊!」現在天下人尊崇高官顯爵,卻輕視道德品行,就如同看重甘棠樹而輕視賢人召伯,這就是本末倒置了。道德仁義,雖眼看不到,耳聽不到,但天下卻受其教化得以安治,萬事萬物因此而生養繁衍。它沒有爵位卻很高貴,沒有官職俸祿卻很尊貴。

【日本語訳】
国君は国にとって尊い存在であるが、天下にとってもそうとうは限りません。天下を治める天子はその時代にとっては尊い存在であるが、後世にとってもそうとは限りません。何故なら、その徳行と天地の理が相容れないからです。爵位は徳行を褒めたたえて、成長させるためのものであるはずです。『詩経』にも書いてあったが、「美しく茂る甘棠の木よ。それにはさみを入いれてはいけません。枯らしてもいけません。何故なら、そこは召伯が休んだところです。」仁のある者が休めた所は、そこの草花さえも人々は切り離そうとしません。しかしながら、皇族や貴族であっても、暴君のような暴虐な者は卑しいものだと人々から思われます。「官位が高いからと言って本当に高貴な者だとは限りません!」今の人々は爵位を重視して道徳品行を軽視するのは、草花ばかりを重視して賢人の行いを忘れたのと同様で、本末転倒です。道徳仁義は見えなくて聞こえないものだが、天下万物の源であり、爵位や俸禄がなくても尊いものです。

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