半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(4-149)

149.人之所惡,唯孤、寡、不轂,而王公以為稱。故物或損之而益,或益之而損。人之所教,我亦教人。強梁者不得其死,吾將以為教父。(卷三十四 老子・德經)

【白話】
孤、寡、不轂都是人們所討厭的不祥的名稱,而王公貴人卻拿來自我稱呼(王公貴人雖身處顯貴爵位,卻效法謙卑、柔和)。所以,他們知道一切事物,有時候減損它,反而會得到利益;有時候增加它,反而會受到減損。(刻意圖謀高位或鑽營富貴,反而會惹來禍殃,遭致身敗名裂)別人所教導我們的事(別人所教的,是放棄柔弱而去追求剛強),我也反過來教導別人(我所教人的恰恰相反,是放棄剛強而以柔弱自守)。強狠霸道的人不得善終(強橫的人,崇尚勢力、強暴,為天理所不容,必將兵刃加身,不得盡其天年而終),我要把這個道理作為施教的根本。

【日本語訳】
孤、寡、不轂はいずれも不吉な言葉として人々から忌み嫌われているのに、貴族はそれを自分への呼び方としたしま。(貴族は高い爵位を有しているのに、柔らかな物腰でいられることです)。なぜなら、物事というのは、時には損なった方が利益をもたらしてくれて、逆も然りです。(あえて高い地位や富を得ようとすると、とんでもない禍を招いてしまいかねません)。人からしなやかさを捨てて強者の剛直さを求めなさいと教わったが、私は逆のことを教えてあげました。思いやりのない強さで力任せに推し進めては有終の美を飾れるわけがなく、このことを私は教育理念の根本としましょう。

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