半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(4-166)

166.夫學譬之猶礪也。夫昆吾之金,而銖父之錫,使于越之工,鑄之以為劍,而勿加砥礪,則以刺不入,以擊不斷。磨之礱礪,加之以黃砥,則其刺也無前,其擊也無下。自是觀之,礪之與弗礪,其相去遠矣。(卷三十六 尸子・勸學)

【白話】
學習就像磨東西一樣。昆吾出產的銅,銖父出產的錫,經過越國工匠加工,鑄成青銅劍,如果不加以磨利,那麼用來刺東西就刺不進去,用來砍東西就砍不斷。如果先用粗砂磨石磨過,再用細砂磨石磨利,那麼再用它向前直刺,前無所阻;向下直擊,下無所阻。由此看來,青銅劍的磨與不磨,有很大的差別。

【日本語訳】
学習というのは、ものを磨いているのと同じです。昆吾產の銅と銖父産の錫は越国の職人によって加工され、青銅の剣になったが、もしちゃんと研いであげないと、物に刺し込めないし、物を断ち切ることもできません。粗いヤスリで研いだ後に細いヤスリで研いであげたら、素晴らしい切れ味になれます。前に向かって刺せば、遮られるものはなく、下に向かって直撃しても、遮られるものはありません。たとえ青銅の剣と言えども、研ぐ研がないによって随分違うことが分かります。

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