半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(4-171)

171.昔在前聖之世,欲敦風俗,鎮靜百姓,隆鄉黨之義,崇六親之行,人道賢否,於是見矣。然鄕老書其善,以獻天子;司馬論其能,以官於職;有司考績,以明黜陟。故天下之人,退而脩本,州黨有德義,朝廷有公正,天下大治。浮華邪佞,無所容厝。(卷三十 晉書下・傳)

【白話】
以前在聖王之世,為政者為了使社會風氣能夠敦厚、百姓生活能夠安定,推崇鄉鄰族人之間的道義,倡導家庭成員崇尚六親之間的人倫德行。如此一個人的為人是否賢德,便可在他日常的敦倫盡分中看到了。然後,鄉老記錄他們的善行呈獻給皇帝,由司馬評議他們的才能,讓他們在相應的職位為官,然後由主管的官吏考核他們的政績,決定他們的官職是升遷或黜降。因此天下的人,都回到修身立德的本分中,從而使州郡鄉里講求德行道義,朝廷用人公正無私,天下為之大治。而浮華奸邪的人就沒有容身的地方。

【日本語訳】
聖王の時代では、施政者は社会の雰囲気を良くし、民の生活の安定をはかるために、隣人や同族との道義を崇め、家庭の倫理を提唱しました。人の人となりが賢明で徳があるかどうかは、その日常の行いの中から判断されたものです。各地方の長老が人々の善行を記録して皇帝に献上し、司馬によってその才能を評価してから、それぞれにふさわしい官位が与えられるが、最終的には専門の官吏が彼らの成績を考査することによって、その官職が昇進するか左遷されるかが決まります。そのため、天下の人々は修身と徳を積むという本分に立ち戻り、津々浦々では道義と徳の行いが尊いとされるようになりました。朝廷の人事も公正にして無私なので、天下は大いに栄えました。そして浮ついた邪な者はいられなくなったのです。

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