半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(4-194)

194.今立中正,定九品,高下任意,榮辱在手。操人主之威福,奪天朝之權勢。愛憎決於心,情偽由於己。公無考校之負,私無告訴之忌,榮黨橫越,威福擅行。用心百態,求者萬端,廉讓之風滅,苟且之俗成。天下訩訩,但爭品位,不聞推讓。流俗之過,一至於此,竊為聖世恥之。愚心之所非者,不可以一概論,輙條列其事。夫名狀以當才為清,品輩以得實為平。治亂之要,不可不允。清平者,治化之美;枉濫者,亂敗之惡也。不可不察。然人才異能,備體者寡,器有大小,達有早晚,是以三仁殊塗而同歸,四子異行而鈞義。陳平、韓信,笑侮於邑里,而收功於帝王;屈原、伍胥,不容於人主,而顯名於竹帛。是篤論之所明也。(卷三十 晉書下・傳)

【白話】
如今設立中正官,由他們將候選官員劃分為九個等級,等級的高低任由他們做主,士人的榮辱進退就落在他們手中。他們操控著唯君主才應有的賞罰之權,奪取了朝廷當有的權勢。評斷候選人的好壞,取決於他們一己的愛憎,考察結果的真假也由他們各人私心定奪。於公沒有被考課督責的壓力,於私沒有被人檢舉控告的顧忌,結果使得官員結黨營私,威福自專。他們各懷心計,謀求官職的方法五花八門,從而使廉直謙讓的風氣逐漸消失,不循禮法求取官職的惡俗日益形成。致使天下人紛紛攘攘,只為爭奪官品高下,竟再也聽不到推賢讓能的美事。流風民俗竟惡劣到如此地步,臣內心實以為當今聖明之世,仍存此一惡劣風氣而深感羞恥。臣心中所不以為然的,不好籠統地一概而論,於是以下分條列舉之。稱述人物以緊扣其才幹謀略之實才叫做清正,品評一個人要能夠與他的實情相符合才叫做公平。這是關係國家安定抑或混亂的關鍵,不可不公允而服人。清正、公平是治國化民的美事,枉法恣肆是亂法敗政的惡事。對此不能不明察。然而,人各有所長,德能俱全的人很少見,人的才器有大小之分,得志也早晚各異。所以微子、箕子、比干三位仁人,儘管境遇、經歷各不相同,但其賢名賢德則一。羲仲、羲叔、和仲、和叔四子的作為各不相同,然而都能體現道義精神。陳平、韓信都曾在其家鄉被人恥笑侮辱,但後來都為帝王建立了功業。屈原伍子胥二人不被君主所容,但後來卻揚名青史。這些都是歷史允當的定論,向我們昭示識人的不易。

【日本語訳】
今は中正官という官職を設けて、彼らによって官員たちは九つの階級に分けられます。階級の高さも士人の栄誉や侮辱や進退も全て彼らの手中にあります。彼らは本来なら君主だけが持ちうる奨励と刑罰の権利を操り、朝廷の権勢を奪い取りました。候補者の良し悪しも考察結果の真偽も彼らの私心によって決められてしまいます。公においては彼らを監督する圧力がなく、私においては誰かから告発される心配がありません。その結果、官員たちは徒党を組んで権威と利益を独占していました。それぞれに腹に良からぬ企みを持っていて、清廉で正直な風習は徐々に消え去り、官職を求めるために礼法に従わない悪習も日に日にひどくなりました。天下の人々を紛争に巻き込むのも全て高い官位を奪うためだけであり、賢明にして有能な者に禅譲する美徳は聞こえなくなって久しいです。この聖明な時代に、このような悪習があることに、私は臣下として実に恥ずかしく思っております。このことを一概して論ずるのはよくないので、いくつかの項目に分けて論じました。人の才智について論ずることこそ清正と、人の実情について評することこそ公平といいます。これらの基準は国の安定に関係する鍵であり、おろそかにしておきながら、人に国のことを認めてもらおうとするなんていけません。いずれも国を治めて民を教化するための立派なことです。しかしながら、徳行も才能も持っている人はあまり見かけません。才能と器の大きさに違いがあるし、仕事で思うように願いが叶う時期も人それぞれに違います。そのため、微子、箕子、比干ら仁が厚くて有名な先人は、それぞれに違う境遇と経歴を有しておきながら、今日では同じ名声と徳行で知られています。羲仲、羲叔、和仲、和叔ら四人もそれぞれに異なる行動をとりながらも、道義の精神を体現していました。陳平、韓信らは共にその故郷では笑い者にされて辱められたが、それからは帝王のために功績を打ち立てたのです。屈原伍子胥の二人も君主から受け入れられなかったが、歴史にその名を残しました。これらは全て歴史が下した妥当な定論であり、私たちに人を見極めることの難しさを証明しています。

>> 群書治要三六〇 #為政 #知人