半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(4-196)

196.管夷吾有病,小白問之曰:「仲父之病,病矣。至於大病,則寡人惡乎屬國而可?」夷吾曰:「公誰欲歟?」小白曰:「鮑叔牙可。」曰:「不可。其為人潔廉善士。其於不己若者,不比之人。一聞人之過,終身不忘。使之治國,上且鉤乎君,下且逆乎民。其得罪於君,將弗久矣。」小白曰:「然則孰可?」對曰:「勿已,則隰朋可。其為人也,愧不若黃帝,而哀不己若者。以德分人,謂之聖人;以財分人,謂之賢人。以賢臨人者,未有得人者也;以賢下人者,未有不得人者也。其於國,有不聞也;其於家,有不見也。勿已,則隰朋可。然則管夷吾非薄鮑叔也,不得不薄;非厚隰朋也,不得不厚。厚薄之去來,弗由我。」(卷三十四 列子・力命)

【白話】
齊相管夷吾有病,齊桓公小白問他說:「仲父的病,重了!萬一病勢嚴重了,治不好,我要把國政託付給誰呢?」夷吾說:「您打算交給誰呢?」小白說:「交給鮑叔牙應該可以吧!」夷吾說:「那不可以。他為人清白廉潔,是賢德的人。對於德行不如自己的人,他便不會與之交往;一聽見他人的過失,便終身不忘。假如讓他管理國政,對上則求全責備於君主,對下又違逆百姓。他得罪於您的日子,大概也為時不遠了。」小白說:「那麼誰可以呢?」管仲答道:「不得已,那麼隰朋可以接任。他為人處世,只慚愧自己的德才不如黃帝,而能哀憐那些不如自己的人。自己修德,以德來感化他人的人稱作聖人;以財物來濟施他人的人稱作賢人。因為自己賢能而傲氣凌人的人,從來就沒有能得人心的;自己賢能,卻能謙虛對人的人,沒有不得人心的。隰朋對於國事,不該管的不去管;對於家事,遇有能睜一隻眼閉一隻眼的,則不去詳究。不得已,那麼隰朋可以接任。但是,我管夷吾並非有意輕忽鮑叔牙,而是為顧全大局不得不如此;並非特意獨厚隰朋,而是權衡輕重不得不推舉他。當中利弊得失的取捨,實在由不得我啊!」

【日本語訳】
齊の宰相である管夷吾が病気になった時、齊の桓公小白は彼に尋ねました。「仲父の病がひどくなりました!もしさらにひどくなってしまい、快復しなかったら、私は国政を誰に託せばよろしいのでしょうか?」夷吾は尋ねました。「殿は誰に任せようとされますか?」小白は答えました。「鮑叔牙に任せるのはいいでしょう!」夷吾は言いました。「それではいけません。彼は清廉潔白な人となりで、とても徳のある賢人です。そのため、自分より徳行の劣る人とは付き合わないし、人の過ちを一度見聞きすると、終身忘れません。もし彼に国政の管理を任せたら、上にいる君主には完璧さを求めて責めるし、下にいる民の心を逆なでしてしまいます。そのような状況になると、彼が殿を怒らせてしまう日まではそう遠くないでしょう。」小白は尋ねました。「では誰なら適任でしょうか?」管仲は答えました。「どうしてもと仰るのならば、隰朋には任せられます。彼はいつも自分の徳行と才能が皇帝に及ばないことを恥ずかしく思っておりながら、自分より劣る人のことを哀れに思える者です。自分は修行して徳を積みながら、人をも徳をもって感化できるのは聖人と呼ばれ、財物で人を助けられるのは賢人と呼ばれます。自分の才能と賢明さで、傲慢に人を見くびる者が人の心を得たことは一度もありません。才能と賢明さを持っていながら、人に謙虚な態度でいられる者で人の心を得られない者はいません。隰朋は国事について、手を出すべきでないことは手を出さないし、家事についても、見て見ぬふりのできるものなら、細かく究明しようとしません。どうしてもと仰るならば、隰朋にはまかせられましょう。だからと言って、この管夷吾が鮑叔牙を軽視したわけではなく、全ては大局のためにこうせざるえなかったのです。隰朋をひいきにしたわけでもなく、ことの重大さを考えると、彼を推挙しなければなりません。この一連の取捨には、私個人にはどうすることもできないのです!」

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