半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(4-255)

255.遠人至而不去,則有以畜之也;民眾而可壹,則有以牧之也。見其可也,喜之有徵;見其不可也,惡之有刑。賞罰信於其所見,雖其所不見,其敢為之乎?見其可也,喜之無徵;見其不可也,惡之無刑。賞罰不信於其所見,而求其所不見之為之化,不可得也。(卷三十二 管子・權脩)

【白話】
居住在遠方的人來歸附而不離去,是因為有誘因讓他們留下來;百姓眾多而可以步調一致,是因為有管理他們的方法和制度。見到民眾行為正當,感到歡喜就應該給予賞賜;見到民眾行為不正當,感到厭惡而予以懲罰。君主對他所見到的行為,能賞罰分明,那麼即使不在眼前,人們哪敢去做壞事呢?見到民眾行為正當,感到高興卻不予賞賜;見到民眾行為不正當,感到厭惡卻不予懲罰。對所見到的行為都不能賞罰分明,卻希望不在他眼前的事,人們都受到教化不去做壞事,是不可能的。

【日本語訳】
遠方に住んでいた者が付き従ってきて離れようとしないのは、留まろうとする誘因があるからです。民の人数が多くても足並みをそろえられるのは、彼らを管理する方法と制度があるからです。民が正しいことをして喜ばしく思えるのならば、褒美を与えるべきです。民が正しくないことをして嫌悪を感じるようであれば、懲罰するべきです。君主が褒美と懲罰の基準をしっかりとして設定して執行できれば、たとえ君主がその場にいなくても、人々は悪事を働こうとしません。民が正しい行為をするのを見て嬉しく思ったのに褒美を与えず、民の良くない行為をするのを見て嫌悪に思ったのに罰しない主君がいます。それなのに、自分のいない場でも教化されたように悪事を働かないでほしいというのは、ありえないことです。

>> 群書治要三六〇 #為政 #賞罰