半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(4-298)

298.何曾,字穎孝,陳國人也。為司隷校尉,言於太祖曰:「公方以孝治天下,而聽阮籍以重哀,飲酒食肉於公坐。宜擯四裔,無令汙染華夏。」太祖曰:「此子羸病若此,君不能為吾忍耶!」曾重引據,辭理甚切,朝廷憚焉。泰始九年,為司徒,以疲疾求退。孫綏位至侍中,潘滔譖之於太傅越,遂被殺。初,曾告老,時被召見,侍坐終日。世祖不論經國大事,但說平生常語。曾出每曰:「將恐身不免亂,能及嗣乎!」告其二子曰:「汝等猶可得没。」指諸孫曰:「此輩必遇亂死也。」及綏死,兄嵩曰:「我祖其神乎!」(卷二十九 晉書上・百官志)

【白話】
何曾,字穎孝,陳國人。擔任司隷校尉時,曾對晉太祖司馬昭說:「您正以孝治理天下,卻聽任阮籍居喪的時候,在您身邊飲酒吃肉。應該將他放逐遠方,不要讓他污染華夏。」晉太祖說:「這個人身體如此虛弱,你不能為我忍一忍嗎!」何曾再引述證據,辭理十分懇切,令朝廷上的人都十分敬怕他。泰始九年,任司徒,因疲勞生病,以此請求退休。他的孫子何綏官至侍中,潘滔在太傅司馬越面前誣陷何綏,於是何綏被殺。當初何曾告老還鄉時,還時常被召見,在皇帝身邊侍坐終日。晉世祖和他不討論國家大事,只談家常事。何曾每次出宮都說:「恐怕將來自己不能免於禍亂,會牽連後代吧!」並告訴他的兩個兒子說:「你們還可以善終。」指著孫子們說:「這一輩必定會遇到禍亂而死。」等到何綏死時,他的哥哥何嵩說:「我的祖父真是料事如神啊!」

【日本語訳】
何曾、字は穎孝、陳國の人でした。司隷校尉として働いていた時に晉太祖である司馬昭に言いました。「あなたは孝で天下を治めているのに、喪に服していた阮籍があなたの御そばで酒を飲み肉を食べているのを止めませんでした。このような者は遠方に流すべきで、華夏を汚染させてはいけません。」晉太祖は言いました。「彼は体があまりにも弱いのです。わたしのためだと思って我慢してくれませんか!」何曾はさらに証拠を述べたが、懇切かつ理路整然とした話しぶりに、朝廷の者はみな彼のことを敬いながら、恐れをなしました。泰始の九年、何曾は司徒の仕事をしていたが、疲労で病気になって退職を申し出ました。彼の孫であった何綏は侍中として働いていたが、潘滔が太傅である司馬越の前で何綏のことを陥れたので、何綏は殺されました。何曾が退職して故郷に帰った当初は、まだよく朝廷に呼び出されて、一日中皇帝のそばに仕えていたものだったが、晉世祖は彼とは国のことではなく、いつも家庭内の日常茶飯事だけを話していました。何曾は宮殿から出る時、いつも言っていました。「恐らく自分は禍から逃れられないし、後世の子孫までも道連れにしてしまうのでしょう!」また、二人の息子にはこのように告げました。「おまえたちはまだいいだろう。」孫たちを指さして言葉を続けました。「しかしこの世代は必ず禍にあって死にます」何綏が亡くなると、その兄である何嵩は言いました。「祖父は実に神のように物事がよく視えていました!」

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