半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(4-301)

301.凡人君之所以為君者,勢也。勢在下,則君制於臣。勢在上,則臣制於君。故君臣之易位,勢在下也。故曰:堂上遠於百里,堂下遠於千里,門廷遠於萬里。今步者一日,百里之情通矣!堂上有事,十日而君不聞,此所謂遠於百里也;步者十日,千里之情通矣!堂下有事,一月而君不聞,此所謂遠於千里也;步者百日,萬里之情通矣!門廷有事,期年而君不聞,此所謂遠於萬里也。故請入而不出,謂之滅;出而不入,謂之絕;入而不至,謂之侵;出而道止,謂之壅。滅絕侵壅之君者,非杜其門而守其戶也,為政之有所不行也。(卷三十二 管子・法法)

【白話】
凡是君主之所以成為君主,在於權勢。權勢在下,君主就會受制於臣子;權勢在上,臣子就會受制於君主。所以君臣易位的原因,就因為君主的權勢下落,勢在下則情不上通,君不得與聞下情。所以說:殿堂之上可以遠過百里,殿堂之下可以遠過千里,門廷可以遠過萬里。君主對發生在近處的堂上、堂下、門廷之內的事都不知道,則雖是近處,卻比百里、千里、萬里之外更遠。現在走一天的路,百里範圍內的事情都知道,但是朝廷上發生的事,過了十天君主還不知道,這就是所謂的朝廷之上可以遠過百里;走十天的路,千里範圍內的事情都知道,但是朝廷之下發生的事,過了一個月君主還不知道,這就是所謂的朝廷之下可以遠過千里;走一百天的路,萬里範圍內的事情都知道,但是門廷發生的事,過了一年君主還沒聽到,這就是所謂的門廷可以遠過萬里。所以臣下有情況反映,君主卻沒有發出相應的號令,這叫做滅;君主號令發出了,卻沒有相應的情況反映上來,這叫做絕;情況反映上來,卻沒有呈報給君主,這叫做侵;君主號令發出了,中途又停止下來,這叫做壅。受到滅絕侵壅的君主,並不是君主關閉了門戶,而是政令有所不通行的緣故。

【日本語訳】
凡そ君主が君主たるゆえんは、権威と勢力にあります。権威と勢力が下火になると、君主は臣下に牽制されます。逆も然りです。そのため、君臣の間に権力交代が起こる原因は君主の権力と勢力の失墜であり、勢力が下である臣下の方にあると、君主は下々の事情を遮られて聞こえなくなるのです。朝堂の中のことは百里よりも遠くなり、朝堂の外のことは千里よりも遠くなり、さらに遠い門廷のことは万里よりも遠くなると言われています。何故なら、君主は近場であるはずの朝堂の内外や門廷で起きたことさえも分かっていないようでは、これらの場所で起きたことは君主にとって、百里、千里、万里離れたところよりも遠い存在であるといえるからです。一日さえ歩けば、百里の範囲内のことは凡そ分かるのに、朝堂の中で起きたことは十日間経っても君主はまだ知らないようでは、百里よりも遠いといわれるゆえんです。十日さえ歩けば、千里の範囲内のことは凡そ分かるのに、朝堂の外で起きたことは一か月経っても君主はまだ知らないようでは、千里よりも遠いといわれるゆえんです。百日さえ歩けば、万里の範囲内のことは凡そ分かるのに、朝堂で起きたことは一年経っても君主はまだ知らないようでは、万里よりも遠いといわれるゆえんです。臣下が何か状況を反映したのに、君主がそれにふさわしい号令を出していなかったら、滅と言われます。主君が号令を出したのに、ふさわしい状況が反映されていなかったら、絶といわれます。状況は反映されたが、君主のところまで届いていなかったら、侵といわれます。君主は号令を出したが、途中で中断してしまうのは壅といわれます。これら滅絶侵壅的にあう君主は、彼らが門戸を閉ざしたわけではなく、政令の施行に滞っているところがあるからです。

>> 群書治要三六〇 #敬慎 #鑒戒