半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(4-318)

318.昔先君桓公,方任賢而贊德之時,亡國恃以存,危國仰以安,是以民樂其政,而世高其德。行遠征暴,勞者不疾;驅海內使朝天子,諸侯不怨。當是時,盛君之行,不能進焉。及其卒而衰,怠於德而並於樂,身溺於婦侍,而謀因於豎刁,是以民苦其政,而世非其行。故身死胡宮而不舉,蟲出而不收。當是時也,桀、紂之卒,不能惡焉。(卷三十三 晏子・諫上)

【白話】
從前先王桓公,任用賢良而推崇仁德的時候,將要滅亡的國家依靠他可以保存下來。國家遭受危難時,倚仗他可以轉危為安。因此百姓喜愛他的政權,世人尊崇他的德政。連到很遠的地方去征討殘暴,身受勞苦的人也不會怨恨;令海內各國朝見天子,諸侯也不埋怨。這個時候,威望極高的國君的舉動,也都不能超越他。到了他晚年,國勢漸衰,懶於推行德政而迷戀於淫樂,沉湎於美色而聽信豎刁的謀議,因此百姓痛恨他的政權,他的行為受到世人的非議,所以他死在寢宮沒有人報告,屍體長蛆爬出牆外,也沒有人去收屍。當時,暴虐的夏桀、商紂死時,也沒有這麼慘啊!

【日本語訳】
昔、先王の桓公は善良な賢人を任用して仁徳を推奨し崇めていました。滅亡しそうになった国は彼に頼ると、持続できました。国が危難にあうと、彼に頼れば危険なことでも無事になれます。そのため、民は彼の執政を愛し、世の中の人々は彼の徳政を崇めていました。残虐な者を討伐するために遠方まで行っても、苦労している人々は恨みません。諸侯国に謁見を命じても、諸侯から恨み言が漏れることはありませんでした。あの時は威勢と名声の極めて大きな国君でさえも、彼を乗り越えられませんでした。しかしながら、晩年になると、国の勢いは衰え、彼自身も徳政を怠って淫楽に耽るようになり、豎刁の企みを盲信していたので、民は彼の政権を痛恨し、その行いも世の中から非議されるようになりました。彼が寝殿で亡くなった時はだれも報告せず、死体のウジが壁の外まで這い出ても、だれもその屍を片付に行きませんでした。暴虐な夏桀、商紂が亡くなった時でさえも、これほど惨めではなかったでしょう!

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