半懂

印光法师文钞

群書治要三六〇(4-344)

344.荀勗,字公曾,潁陰人也。為中書監,加侍中。勗才學博覽,有可觀採,而性邪佞,與賈充、馮紞共相朋黨。朝廷賢臣心不能悅,任愷因機舉充鎮關中。世祖即詔遣之。勗謂紞曰:「賈公遠放,吾等失勢。太子婚尚未定,若使充女為妃,則不營留而自停矣。」勗與紞伺世祖間,並稱充女淑令,風姿絕世,若納東宮,必能輔佐君子,有〈關雎〉后妃之德。遂成婚焉。(卷三十 晉書下・傳)

【白話】
荀勗,字公曾,潁陰人。擔任中書監,加侍中。荀勗才能與學識廣博豐富,有可觀覽及採取,但是性情奸邪諂媚,和賈充、馮紞相互集結成黨派,排除異己。朝廷賢臣心中非常不高興,任愷趁鮮卑侵擾秦州和雍州,晉武帝司馬炎大為憂慮的機會,推舉賈充出鎮關中。晉武帝就發布命令派遣賈充出鎮關中。荀勗知道後立即向馮紞說:「賈充一旦被遠放出鎮關中,我們就會失勢。現在太子(司馬衷)還未娶,如果能讓賈充的女兒成為太子妃,賈充不能留任朝廷內的命令自然就停止了。」荀勗和馮紞偵候晉武帝空暇無事的時候,一起向晉武帝稱說賈充的女兒賈南風非常善良,風姿絕世,如果納為東宮妃子,必能輔佐君子,有〈關雎〉后妃的美德。於是太子司馬衷和賈充的女兒賈南風就結婚了。

【日本語訳】
荀勗、字は公曾、潁陰の人です。中書監として働いていたが、さらには侍中をも勤めていました。荀勗は才能と學識が共に豊かで博識な者でした。見習うべき才能はあるが、邪な性格でよくおもねり、賈充、馮紞らと徒党を組んで自分たちの政敵を排除していました。朝廷の賢明な臣下たちは心の中ではこれをよくとしなかったので、任愷は鮮卑が秦州と雍州を攻めてきて、晉武帝である司馬炎が大いに憂い悩んだ時に、賈充を關中の大将として推薦し、晉武帝はこれを承諾しました。荀勗はこのことを知ると、すぐに馮紞に言いました。「賈充が遠くまで赴任していくと、我々も勢力を失ってしまうでしょう。今の太子(司馬衷)はまだ嫁をもらっていないので、もし賈充の娘を太子妃にすることができれば、賈充が朝廷にいられなくなる命も自然に中止になります。」荀勗と馮紞は晉武帝が暇な時を見計らって、共に晉武帝に賈充の娘である賈南風は非常に善良で絶世の美女であり、もし東宮の妃にすることができたら、必ず君子を補佐できるし、「關雎」で書かれた皇后と妃の美徳を兼ね備えていると力説しました。このようにして、太子司馬衷と賈充の娘賈南風は結婚したのです。

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